モレーヌの歴史

グループ・ド・モレーヌの歴史

会報第1号は、昭和29年12月9日に発行されています。会報名は『モレーヌ』1号となっています。B5版ガリ版刷り14ページです。編集長は吉沢一郎さん、副編集長が堀内利美さんでした。モレーヌ(堆石のフランス語)は、編集者が決めたと記述されています。

 最初のページに、小林安志さんの『発会に寄せて』が出てきます。その内容をまとめるとこんな具合になります。

 ・昭和27年6月ごろ 長野北高定時制山岳部員の吉沢、藤澤らが山岳部OB会結成を話し合う。

 ・昭和29年2月30日 山岳会結成準備会

 ・昭和29年11月27日(土) 山岳会創立総会

を県庁で開く。25名が参加。

 創立総会では、経過報告に続き規約が審議されています。

この規約の中の第一項に、会の名称が出てくるのです。『長野登高会』(仮称)となっています。

この総会では、会名は決定していないのです。

翌年4月の総会で、決まると書かれています。会の名前はどうなるのでしょうか。次回『会報(2)』

にご期待下さい。

     (文責 宮本義彦)    会報第1号の表紙

会報2号が、1955(昭和30)年1月18日に発行されました。発行責任者は吉沢一郎さん、志川輝夫さんが編集係をされています。

そして表紙には、なんと「Groupe Des Moraines」とあるではありませんか。4月の総会で決定されるというのは、どうなったのでしょうか。創設会員に、よくよく聞いてみたいところです。

いずれにせよ、この会名で第1回の冬山合宿・戸隠連峰縦走が取り組まれています。

編集後記にあたる部分にある会名に関する記述を、原文のまま紹介します。

会名は、Groupe Des Moraines(グループ・ド・モレーヌ)と決定した。意味は氷河によって削り出された堆石(モレーヌ)、涸沢のあたりにゴロゴロしている石くず、われわれはこの石くずにすぎないが、グループとなって立派なケルンにしようという言うわけで、グループ・ド・モレーヌ、堆石の集りとした。

 この会報2号の巻頭に、塚田利男さんは「新年を迎えて」という中で、次のように書いています。「グループ・ド・モレーヌこそ私の誇りであると信じていることを付け加えておきます。」 新しい会名に、当時の会員が胸を張っているように思えます。

 なお、1956(昭和31)年2月6日の総会で会則が決り、第1項に「この会はグループ・ド・モレーヌと称し、事務所を長野市吉田東町に置く」と書かれています。

そして、吉沢一郎さんのこんな解説が載っています。(重複しますが)

会名はフランス語で堆石の集りというわけです。氷河によって削り出された岩屑(モレーヌ)、私たちはこの

岩屑一つ一つにすぎません。しかしこの岩屑が十、二十と集まったらケルンを築くことができます。それに

つまらない一片の岩屑であっても、山を構成している物の一部分であることにはちがいありません。

名は体を表すといいますが、会の名前は会員にとって大地のようなものです。会の原点であるわけで

す。会員の誇りでもあります。                      

               (文責 宮本義彦)

山岳会の会則

第1条 この会は、グループ・ド・モレーヌ(GROUPE DES MORAINES略称GDM)という。

第2条 この会は、スポーツ登山の実践を通して、会員相互の豊かな人格形成をはかることを目的とする。

第3条 この会は、目的達成のため、次のことを行う。

(1) 登山に必要な知識および技術を身につけるための研究会、講習会および各種集会の開催

(2) 合宿山行、個人山行および練成

(3) 他山岳会との交流

(4) 会報発行および登山に関する資料収集

(5) その他必要な事項